全療協ニュースを読む(2)

ハンセン病資料館問題

引き続き全療協ニュース。今回は2019年4月1日号である。一面トップで「法人立ち上げは急務 資料館の主体性守る為に」との記事が載っている。2019年1月8日に臨時支部長会議を開き、運営受託者の選定を入札によらない方法に変更せよ、と要求することを正式決定した由。

ちょっと強硬なのではないか、と訝る向きもあるかもしれないが、こうした要求に至った理由はいろいろとある。ありていに言えば向こうのやり口がひどすぎるのである。以下列記してみる。

・入札制度が政治利用されないという保証はない。平成28(2016)年度、日本財団が決まる際の入札でも、全療協に一切の事前告知なく「応募資格の条件引き下げ(緩和)」がおこなわれ、従来の基準では応募資格のない日本財団が受託業者に選定された。

・受託3年目に入った2018年4月、なんの前触れもなく資料館の組織中枢である学芸部を廃止。代わりに事業部と管理部を新設したが、最高責任者である事業部長は学芸員資格を有していない。専門知識を必要とする資料館の業務遂行に支障が出るおそれがある。

・運営委員会などで、こうした機構改編の意図がどこにあるのか質問したが、一切返答なし。学芸部を再設置して機構を元に戻すべきだとも要求したが、これに対しても返答、反応なし。2018年4月以降、全療協に対する事前相談などは一切ないという状態が続いている。
(*当事者=ハンセン病回復者の意向が無視され続けていることを意味する)

全療協の前会長、故・神美知宏(こう・みちひろ)氏は生前、ことあるごとに「全療協とハンセン病資料館は一心同体だ。そのことを忘れないでほしい」と語っていたそうである。その資料館が当事者の意見をまったく聞こうとしない、という事態が2018年4月以降続いている。ハンセン病資料館は全療協とともに歩むことをやめてしまったのか。起きている事象を見るかぎり、そう判断せざるを得ないだろう。

国立ハンセン病資料館の落成式は平成5(1993)年6月25日。その設立運動は藤楓協会創立40周年記念事業として、故・大谷藤郎理事長が先頭に立っておこなわれた。資料収集にあたった人たちの苦労は文字どおり「血の滲むような」ものであったという。国立に移管されたのは平成19(2007)年のことで、これを機に展示内容のリニューアルがおこなわれたが、厚生労働省の意向が強く働き、展示内容の大幅な後退を余儀なくされたという。

記念式典で当時の全療協会長、宮里光男氏は多くの参列者を前に「展示内容は極めて不十分だとの印象を受けた。検証会議の報告などもその一部しか語られていない。今後さらなる努力によって、より濃密な歴史的事実が市民の前で語り伝えられるよう期待する」と述べ、注目を集めた。おれたちはやられっぱなしで黙ってはいない、今に見ておれ、ということだろう。

学芸員の雇用保障問題にも触れられている。前述したようにハンセン病資料館は単年度(1年ごと)の入札によって受託・運営されており、学芸員も毎年、あらたに決まった受託業者と1年単位で契約をすることになっている。回復者の名誉回復、人権教育・啓発活動を継続的におこなうという資料館の使命を考えると、その責を担う学芸員が1年ごとの契約というきわめて不安定な状況に置かれていることも、大いに問題があると言えるだろう。全療協は、この雇用問題についても「複数年契約とし、相応の身分保障をすべきだ」と主張しているという。学芸員のことを本当に考えているのは、どちらだろうか。

資料館運営の受け皿となる法人組織立ち上げは、こうした諸問題を解決し、資料館を本来あるべき姿に戻すための第一歩となる。2020年4月現在、法人組織立ち上げはまだ具体化していないようだが、一刻も早い実現を望む次第である。

資料館問題は、これ以外にもまだまだあって、3月9日の記者会見(於・厚労省)で指摘された現館長によるパワハラ、セクハラ問題などは真っ先に取り上げられるべきものと思う。これについては、また次回。〈つづく〉

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