資料館でのハラスメントまとめ(参考資料)

ハンセン病資料館問題

資料館でのハラスメント(一部)

2016年初頭から始まったハラスメントについて一部を抜粋して紹介します。ここに書かれていることがすべてではなく、ハラスメントが現在進行形で続いているという点に、今回の事件の深刻さが非常によくあらわれていると思います。

このような事実はなかった、指摘は当たらないと主張する声も一部にあるようですが、これを読んで、皆さんは何をお感じになるでしょうか。
*署名用紙とともに配付している参考資料の一部(個人名、漢字表記など)を修正、書き起こしたものです

2016年 2月〜
平沢保治氏(多磨全生園入所者で国立ハンセン病資料館運営委員、語り部)による稲葉さんに対するパワハラ、侮辱、名誉毀損が始まった。

2018年 1月〜
成田稔・国立ハンセン病資料館館長による、特定職員を対象とした暴言が日常的におこなわれるようになった。

2018年 春〜
成田館長による元女性学芸員(Aさん)に対するセクハラがたびたびおこなわれるようになった。

2018年 秋〜
成田館長の非常識な行動、および指示をAさんが拒むと、「辞めろ、辞めちまえ、辞めさせてやる」と恫喝され、同時にパワハラがおこなわれるようになった。

2019年 1月〜
成田館長が年頭の訓示で「あの学芸員気にくわねえよって、ひとこと言ったらね(……)どこかすっ飛ばすんだよ。辞めるか、飛ぶかだ」など職員を前に語った。

2019年 3月末
O学芸員が、すでに排除の対象となっていたK学芸部長(当時・重監房資料館部長)と稲葉さんが不在の日に全職員を集め、『常設展示図録』の“誤記”は、K部長と稲葉さんが「知っていながら放置した」ものと事実に反する説明をおこなった。

2019年 4月
成田館長が年度初めの訓示で「お気に召すようなことをしろ」等、気に食わない職員を辞めさせたこと、学芸員が辞めたところで代わりはいくらでもいる、と職員に語った。

2019年 4月
H事業部長、N事業課主任、O社会啓発課長が、組合員2名の担当事業を一方的に取り上げようとし、春以降は同じ事業課員でありながら2人を排除して、N事業課長とK、H学芸員の事業課員2名だけで事業課の事業を決めていくようになった。

2019年 10月
O課長の問い合わせに対するAさんの回答が気に入らないとの言いがかりに、Aさんの上司であるN課長は事実確認もせず、またAさんの反論にも耳を貸さず、O課長に言われるままにAさんを注意した。

2019年 10月
図書室職員から、組合員2名の利用について「苦情」があったとするO課長の言いがかりに、N課長は事実確認もしないまま両名を注意し、また両名が反論すると、事実でなくともO課長に従えと発言した。

2019年 10月〜
事業課内においてN課長、K、H両学芸員の3人が事業を計画し、決定するまで、あるいは実施したことすら組合員2名には報せないという露骨な排除が日常的に繰り返されるようになった。また、事業計画の見直しをおこなうとして、H部長とN課長が組合員2名を個別に呼び出し、従来の担当事業の取り上げと新たな事業の担当を一方的に通告し、了承を迫った。

2019年 12月
他の学芸員などには配布・回覧されていた来館者調査報告書が、組合員3名には周知されなかったことについて、12月9日、1月6日と2回の団交(団体交渉)で理由説明と配布を求めたが、まともな説明はなく、報告書が配布されたのは2月7日であった。

2019年 12月
療養所からの作品貸し出し依頼にともない、資料管理課長である稲葉さんが展示作品2点を入れ替えたことについて、N課長が稲葉さんに対する言いがかりをH部長に伝え、H部長はN課長の言う「苦情」の妥当性を判断することなく稲葉さんを注意した。

2020年 1月
資料整理プロジェクトチームにおいて、2019年末までに各人が担当する資料群の物量把握を負えると決めたにもかかわらず、N課長、O課長、K、K両学芸員は示し合わせて作業をおこなわず、あげくスケジュールの遅れの責任を稲葉さんに転嫁した。

このように、資料館内における嫌がらせ等のハラスメントは枚挙にいとまがない。2019年9月の分会結成後にも上記のような嫌がらせが多発、悪化している状況について、団体交渉でその改善を求めたが、日本財団はコミュニケーションの問題と組合員に責任があるかのような対応に終始した。財団により、資料館全体において組合を敵視・嫌悪する雰囲気が巧妙につくられてきたことの証左である。

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