支援者インタビュー〈大竹 章さん〉(後編)

インタビュー

Profile
大竹 章(おおたけ・あきら)さん……1925(大正14)年生まれ。1944年に徴兵検査を受け、ハンセン病と診断され兵役免除となる。同年、多磨全生園に入所。1964年、全患協(*現全療協)本部が長島から多磨に移管されたことを機に全患協本部事務局に勤務。広報部長、情宣部補佐として、おもに全患協(現・全療協)ニュースの編集にあたった。1969年、再建された多磨全生園自治会の主任書記に就任。高松宮記念ハンセン病資料館の開館準備では全国の療養所を訪ね、展示資料の収集、展示立案など、中心的役割を果たした。1993年、高松宮記念ハンセン病資料館運営委員に就任。編纂委員を務めた書籍に『全患協運動史』『倶会一処』『復権への日月』、著書に『らいからの解放─その受難と闘い』『無菌地帯─らい予防法の真実とは』『ハンセン病資料館(佐川修氏との共編著)』などがある。

 

現在進行形の資料返還と不当解雇問題。
国立という名称がもつ本当の意味とは

──資料館の展示をつくっていく際には、どのようにしてコーナーの構成や配置を決めていったんでしょう。

高松宮記念のときには、ここは何のコーナー、こっちは何のコーナーという全体の構成を最初に決めて、それに従って関係のある資料を棚の下の方に並べて置いていきました。私がやったのは、その物を置いていく作業だけです。佐川さんと榮さん(*一男氏。全生園元職員)が、それを見栄えよく並べてくれました。とくに榮さんが並べていくと、展示がなんというか、全部芸術的になっちゃうんですね。榮さんは陶芸室なんかの指導もやっていた人でした。展示に使う言葉なんかも含めて、みんな彼がつくってくれました。

──資料館の国立化については、どう思っていましたか。

名称をどうするか、ただの「ハンセン病資料館」ではどうかということで、この件だけのために支部長会議を開いたんです。そのときにある支部の代表だけは、やっぱり錦の御旗(宮家の冠)が必要なんだと、そういう意見でした。全療協は協議体ですから、まったくことなる意見を、ある支部が持ってくると、これをとりまとめるのは大変です。結局、別室におもだった園の支部長が集まって、なんとか修正案ができないか、さんざん議論をした。

そのときに「ハンセン病資料館の前に国立という名称を入れたらどうか」という案が出て、「うん、それならいいだろう」ということになった。しかし、錦の御旗と言ってる支部があるから、その日に採決するわけにはいかない。それで名称決定は保留、各園へ宿題として持って帰ろうということにして、園に帰ったら「国立ハンセン病資料館」という名称で了承、批准しろと。そういう段取りにした。こうした経緯を経て、名称が決まったわけです。

この時点ではあくまでも名称に国立という名称が入っただけで、受託団体が競争入札で運営を受託するなんてことは、私たちは思ってもみなかった。リニューアル後は国の責任においてやる。そういう理解でしたから。でも最初の受託団体は日本科学技術振興財団(以下、科技振)だったので、そんなにあくどいことはしないところだとは、わかってました。

現在は歴史館、社会交流館など、名称はいろいろだけれども、各園が独自の資料館をつくりはじめている。その際に、国立ハンセン病資料館が本部のような役割を担って恣意的に各地の資料館を管理・支配する。そういうことも起きないとは限らない。今の資料館を見ていると、その危険性は大いにある。そんなことはあってはならないと思っています。

文書返却のトラブルと不当解雇
資料館はどこへ向かおうとしているのか

──最近のハンセン病資料館について、どんなことを感じますか。

今年の3月末日から、ハンセン病資料館と、全生園の古文書に関して、ずいぶんひどいごたごたがあって、その経緯については全療協ニュースにも書きました。これは多磨全生園のことではあるけれども、多磨支部自治会では問題が大きくなりすぎたということで、全療協へ全面的に委任することになりました。

資料館の運営に関して言うと、なぜ落札制度によって受託者が決まるのか。しかも毎年入札がおこなわれるということについて、非常に大きな違和感を感じるわけです。日本財団、笹川保健財団、こういった組織がハンセン病資料館に乗り込んできて、なぜ運営をするのか。彼らに運営をお願いしなければならないほど、ハンセン病資料館は情けないものなのか。

私たちが返還を求めている全生園の古文書類というのは、長いことハンセン氏病図書館に保管されていたものです。ところが、入所者の処遇が改善され、各作業場が閉鎖されたときにハンセン氏病図書館も一緒に閉鎖されてしまった。そんな経緯があって、保管場所のなくなった古文書類は、いったんハンセン病資料館の収蔵庫に預かってもらうことになった。それを今年の3月末日に、引き取りたいと申し入れたわけです。

ところが資料館は、いろいろと難癖をつけてなかなか返そうとしない。それが今の問題です。なんで資料館は人の文書を預かっただけなのに、返さないのか。預けていたのは見張所勤務日誌だとか、逃走記録だとか、患者のプライバシーに関する記載があるものばかりです。しかもその文書を2階の常設展示場で展示していたこともあった。

そのときは、なぜ個人情報の載っている古文書を展示しているのかと言って、すぐに収蔵庫に戻させたけれども、収蔵庫に戻しただけで、まだ自治会に返すことにはなっていません。今後、この問題は全療協が扱うことになるけれども、全療協は資料館へ行って古文書類を返してくださいとか、そんな酔ったようなことを言う立場じゃありませんから、厚労省が責任を取れ、そういう形で闘いを始めることになると思います。

──全生園の古文書類返還に関しては、全療協が厚労省に対して抗議、申し入れをしていく。そういう闘い方になると。

そうです。全療協が引き継いだわけだから、厚労省にちゃんとしろ、あるべき形と違うだろう、恥を知れと、こういう形で責任を追及することになると思います。ただ厚労省というのは……前科者だからねえ。過去にハンセン病患者の隔離撲滅政策をとってきた役所だから、その事実をなんとかして庇いたい。あまり鋭く責任追及されたら困る。そういうこともあって、厚労省のあり方もあやふやなんだと思います。

リニューアルオープンのときには、厚生省の方からどっと係官が来て、いろいろ見張っていたとか、そういうこともありました。正確な言葉は忘れたけれども、強制隔離という言葉は使うなとか、こういう言葉は使うなとか、そういうことを言ったりして、ずっと監視したそうです。当時の学芸員の人たちも、随分仕事がしづらかっただろうなと思います。でも学芸員というのは慎み深い人たちで私らみたいにペラペラ喋らないからね(笑)。本当のところは、よくはわからない。

──学芸員の不当解雇については、どうでしょうか。

組合組織の自由っていうのは、憲法が保障していることで、その権利を無視するとか、組合組織を理由にクビにするとか、そんなことは許されないだろうと思います。この件については、これから東京都労働委員会の審査に入るそうですが、このままクビ切られたままになるんだとしたら、こりゃあ世の中真っ暗だ。相手が誰だろうが、組合組織の自由というのは憲法がきちんと保障してるわけで、不当解雇は撤回しなさいと、そういう結果を出さなきゃいけない。

ハンセン病資料館は、以前は科技振が受託していたわけです。ただ、運営を任されたといっても、実際の運営は学芸員だとか、資料館に勤めている職員がやっているわけですね。それが競争入札制度になって、入札の要件を日本財団と厚労省とで勝手に変えて、いつの間にか日本財団が受託者になって乗り込んできた。設立に大きな役割を果たした全療協を無視して、そういうことがまったく知らない間におこなわれた。これは由々しき問題です。

──ベテラン学芸員が解雇された。そのことで、歴史を後世に伝えるという資料館の仕事になんらかの影響があると思われますか。

学芸員の解雇っていうのは向こう(資料館)が勝手にやってることだから、いちいち責任もてないですけれども、我々はそれじゃいけないと言って、一生懸命反対してるわけです。ただ、私はハンセン病資料館には、もう学芸員という人たちは、いなくなっちゃったと思ってる。今いるのは「学芸員だった人たち」で、みんなして向こう(財団)の側について、少しでもこっちにいる人の気持ちを翻させようと、働きかけたりしているわけでしょう。文書を書いて送ったり、不当解雇撤回署名への賛同を取り消してくれって頼みに行ったりとか。

そうやって骨がらみ向こうについているんだから、あれは学芸員じゃないんだ。私が個人的に付き合っている人というのは、学芸員じゃなくて「稲葉さん」「大久保さん」という個人、言ってみたら「人」なんです。全生園のなかにも、資料館問題の記事を載せたために「しんぶん赤旗」を取るのをやめたという人が1人くらいはいるかもしれない。それを説得するのは私の役目じゃないけれども、一方でカンパがいるんなら、いつでも出すよと言って、稲葉さんたちに対する同情を示して署名だって集めてくれる。そういう人たちもいるんだよ。

──ハンセン病資料館は今後、どうあるべきと思われますか。

どうにもならない方がいいと思います。変な形にねじ曲がろうとしているんだから、せめて今のままにしておいてもらいたい。強いて言えば、リニューアルされたままの形がいい、そういうことだろうと思います。さっきも話したように、私は今の資料館展示には大いに問題があると思っているけれども、それでも今のような形でねじ曲げられるよりは、ずっといい。

今の資料館は資料を展示し、歴史事実を示すという、一義的な役割を果たそうとしていない。スタジオジブリの宮崎駿さんとか、ああいった有名な人の講演をやって、客が何百人入ったとか、そういうことで資料館が栄えているかのような印象を一般に与えようとしている。だけど、ハンセン病資料館というのは、そういう内容の施設じゃないんです。手前たちの勝手なやり方で運営して、一体どこへ向かうつもりなんだと言いたい。今思っているのは、そういうことです。

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