支援者メッセージ〈田中 等さん〉

支援者メッセージ

Profile
田中 等(たなか・ひとし)さん(元 ハンセン病・国家賠償請求訴訟を支援する会 代表)……1947年、福岡県八幡市(現北九州市八幡東区)生まれ。会社勤務の後、フリーのデザイン・イラストレーター。職場の労働組合活動、障害者解放運動などを経てハンセン病支援活動を行う。1999年から「ハンセン病・国家賠償請求訴訟を支援する会」の代表を務める。
 著書に『仏像経験』『日本の国宝仏像全画集』『イラストと読むポツダム宣言』『ハンセン病の社会史』がある。また、絵本として『放射能ってなんだろう』(小倉志郎・文)がある。共著に『ひとりでも闘える日の丸・君が代』『超特Q障害者の記録』『レラ・チセへの道──こうして東京にアイヌ料理店ができた』『ハンセン病問題 これまでとこれから』など著作多数。

■ハンセン病の世界に「解雇」は似合わない

 おれはこれから感動を抑えて、真剣で冷静な歌の一節を大声で読み上げて、諸君に聞かせよう。諸君、それが内に含んでいるものに用心したまえ、そして、諸君の混乱した想像の中に罪の烙印のように残るに違いない苦々しい影響を警戒したまえ。おれが死にかけているなどと信じてはいけない……おお絹の眼差しをしたタコよ! ……なぜおまえは、おれのそばにいないのか、おまえのその魂がぼくの魂と裂きがたく結びついたおまえの水銀の腹をぼくのアルミニュームの胸にもたせ、海辺の岩の上に二人してすわり、おれが感嘆するあの光景を見ていないのか! ……
 これは僕がずっと若い頃に観たJ-L・ゴダールの『ウイークエンド』のとあるシークエンスで知ったロートレアモンの「マルドロールの歌」(渡辺広士訳)のほんの一部である。多分60年代の末ごろから、なにかめげそうになるとこの歌にいつもいつも励まされて生きてきたような気がする。あれから優に半世紀の時間が経過して、病(人工透析)で蝕まれつつも僕は、減衰しつつある体力に鞭打って今も時折この歌を口ずさんで人生を賦活し、権力に対抗するエネルギーを醸成している。

 ハンセン病と疎遠になってもう久しい。あの5.11の高揚が終わり、一段落着いた頃、僕は、あたかもハイエナのように群がってきた政治家や学者・文化人の面々のある種要領の良さに辟易して現場から遠ざかっていった。「……著名な裁判では通常、傍聴席に白いカバーが被せられた記者専用席があるが、見当たらない」(江刺正喜「ハンセン病問題 これまでとこれから」2002年)ほどマス・コミから等閑されてたのに、熊本判決以降しばらくしてわがもの顔でああだのこうだの議論百出(「検証会議」「市民学会」を見よ!)し、「一般市民」の出番がなくなってしまったのである。むろんいろいろな人々が集まってこそ、世論は盛り上がるというものであり、それはそれで悪くはないのだがなにかがヘン、という他はない。あろうことか検証会議だかのジイサンがエッラソーに「本当の人権」とか「本当の科学」とか言ってなんだか概念上のことをあれこれとソフィストケートしてものごとを結局曖昧にして、それを議論と称して彼の言説を喧伝している、といったふうに……。
 と、まあ、エライサンの人畜無害の論議を本格的に論じる気は毛頭ないのだが、先だっても「昔、国賠裁判にあれほど献身的に支援したのに、弁護団と全患協らの政治的思惑の中で田中さんが『弾き飛ばされた』ことに義憤に似た感想を持っていました」などとゆータワごとを吐くオカド違いのメールを寄越した人もいる。なんか事実を歪曲して、我田引水の論理を展開しようとする饒舌家にはホント付き合ってられないっす。ま、そんなやこんなで、僕とハンセン病問題はもうあまり大した関心事でもない、どっかそこいらの株式の相場か盆栽の良し悪しみたいなものになっていたのである。もう20年も25年も前の問題やんか、せいぜい僕の「最後の青春」としてそっとしまったままで余生を過ごせればそれでいい──と、思っていたところ、まさかの事態が生起したのである。つまり「平和」が売りであるはずの、あのハンセン病資料館で酷い「戦争」が勃発してしまったのである。それも権力=厚労省-笹川財団なるところが雇い止め(解雇)という卑劣な暴挙に出てきたのである。それを「とりまき」たちが追従してえらい厄介なことになって、こちとら安穏な老後生活が撹乱されて、なかなか落ち着かない情況である。

 ハンセン病問題に解雇はまったく似合わない、と僕はハッキリと断言できる。

 

■失われた資料館をもとめて

 ──このところ久しくハンセン病資料館に立ち寄る暇もないけど、それは、なんだか昔のように気さくに出入りできる条件がなくなってしまったのである。コロナのせいじゃなくって、なんだか「国立だぞ!」と威圧的な雰囲気が館内を支配してる。かつては「まぁこっちへどうぞ……」とばかりに事務室や図書室にもたまには会議室にまで招じ入れてくれてある種開放感があったものだ。だが、目下の雰囲気は、とてもクローズで(物理的にも精神的にも) 僕ら一般市民が、気楽に交流を重ねる場とはとても思えないのだ。

 と、記してゆけば、およそキリがないので、資料館の「情景描写」はここいらで止めて、稲葉上道さんとAさんの解雇をめぐる問題について言及したいと思う。
 ハッキリは記憶にないけど、両氏の解雇については、HP等で知ることになり「こら、えらいこっちゃ!」としばらく思案したのですが、その上で「あまり力にならないけど、名前くらい出していいよ!」となにかの拍子に気軽に応じたのである。
 そうこうして夏を迎えるころ、もうこの5~6年にわたるルーティンで、病院の送迎の車に乗り込んだ(6月27日)午前9時半ころ、鹿児島のTさんから直接電話をいただき、「久しぶりにあんたの名前を見かけたよ!」と、思いもかけない口吻でまくしたててきたのだが、僕にはなんのことか分からずちょっと狼狽してしまい……なんのこっちゃろ? こちらから電話をかけなおす旨伝えて一旦電話を中断した。
 なんとも素早い反応である。僕自身いったい何を指して「あんたの名前」と言ってるのか要領を得ないのである。ところがその翌日、稲葉さんらの組合から郵便がとどいて、やっと「あんたの名前」が載っている署名チラシを発見したのである。で、それをもとに鹿児島のTさんに電話をかけて、かれこれ1時間半余にわたっておしゃべりしたのだった。なーんか、一方的に稲葉さんらの批判を(あたかも資料館に常駐してるかのように)次からつぎに展開して、こちとらハンセン病と違うがやっぱり1種1級の「障がい者手帳」を持ってる身で、そうそう大仰にご立腹されて、差別される謂れはないはずである。


(写真提供:田中 等氏 以下同)

 

■権力とタッグを組む卑劣きわまる人びと

 そうこうした割り切れない気持ちを持ったまま、月が明けた7月5日、その電話に呼応するようにわが家の郵便受けにはなんと資料館の有志ショクンから分厚い(全18pages! 7.3付け)お便りがとどいて、ちょっとガックシ……。
 なんでも期間契約切れによる継続雇用拒否=つまり解雇には「国立ハンセン病資料館有志一同」とはいえ、「……人事の問題ですので、私たちにはかかわりかねます」などと駄弁を弄しつつその実シッカリと稲葉氏の悪口を並べ、「元職員」呼ばわりして、解雇を既成事実のごとく述べ立てている。そー言えば当のKのツイッターには「2018年4月~国立ハンセン病資料館で学芸員をしています。発言は個人の考えであり、資料館の公式見解ではありません」などとご丁寧にも「私」と「公」の二分論を駆使して、まるで同僚の解雇には無頓着であるように装ってるのと類比的です。公-私の分裂ってゆーのはそもそも「近代」の病であって、この「現代」ではそんなモン通用しないって。
 僕は、当然のことながらすぐに当の「有志一同」に軽く反発した。軽くってゆーのは労働委員会の手前もあって、あんまりヨケーな情報を漏出させて稲葉さんたちに迷惑がかかると思ったのと、もうひとつは、あんましアホ臭くって、ひと言だけ「お礼」のコトバを述べるだけで充分だろう、と。

 新たな原稿起こしの労を惜しんで、そのときの「お礼」文をそのままここに転載させてさせていただきます。

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  お礼

  お手紙→Kさまほか「国立ハンセン病資料館有志一同」宛て

 懇切丁寧なお手紙いただいたにもかかわらず、音沙汰無しの非礼、深甚の謝意を表明します。
 「国立ハンセン病資料館有志一同」のA4用紙レポート都合18枚にも及ぶ作文拝読しました。
 当の稲葉氏の検閲も受けず、とりあえず簡単なカンソーをお届けいたします。
 記したいことは様々ですが、労働委員会のこともあるしで、ごくごく簡単にお伝えします。

 さて、貴君(ら)のお伝えの
 ①「当事者を軽視している……主張の真偽」について、僕の接した3名の「当事者」はみんな稲葉氏に同情。
 ②、④なんとも言えない。いわゆる「民主的」な組織改編ならびに決定とは到底思えない。
 ③「資料館職員が2名を排除したか?」はこの18pagesの文書内容を見れば明らか。全ページ2人の悪口やん。
 ⑤「……より生ずる支障の有無について」いえば、重箱の隅をつつくような記述などサイテー。多少の失敗が仮にあったとしてもギロンで克服しなきゃ。とりわけ「服装が不適切」「説明の内容が不十分」などは笑止である。

 ま、おおむね以上にとどめますが、2回にわたって記している「……社会人としての適性に欠けていることも明らか」や「2人が退職して以降……むしろ職場環境が改善され、停滞していた業務が一気に前進しつつあります」などは著しく品性を欠くものと思え、論外のそのまた外ってゆー感じです。……とまあ、逐一挙証すれば枚挙に暇がないけど、稲葉氏本人の思いや考えなど捨象してギロンするのはやばいと思うのでこれだけで止筆しておきます。

 鹿児島からの電話連絡といい、Kさんからのレポートといい、およそ下劣なハナシで読むに耐えない。
 ま、機会があれば「有志諸君!」いつでも、お相手しますのでCAFEで歓談しましょう!

    稲葉、A両氏を資料館に戻せ!
    厚生労働省は、財団を管理・指導せよ!
    資料館は職務分掌、賃金表等を明確にしろっつーの!
    期間契約の反復更新は、「期間の定めのない労働」と見做すのは自明だ!

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 以上が僕のささやかな「お礼」だが、K君! あんまし調子に乗って職場労働者=同僚の解雇の片棒かつぐなんて、いまは亡き宮本常一や網野善彦が草場の蔭で泣いてるよ。僕もその昔、職場内外で労働運動を“趣味”でやってたけど、あまり「人倫」に反したことやるといつかバチが当たるよ!

 

■遅れてきた饒舌屋さんのお便り

 さて、秋になって(10月6日)もう一件短文のメールだが、突如(遅れてきたオッサン! ほんとうは無視に値する)入ってきた。このところ(昔からか?)そのヒトはえらく饒舌になったみたいで、社判=落款(嗚呼、河野大臣! 押印廃止の通達でも出してよ)をついてあれこれと稲葉さんたちを論難してる。「商売柄資料館の図書室にはずっと「世話」になっており、稲葉・黒尾のことは入館時から見ています……その結果の意見表明」だそうだ。つまり、解雇した側の立場に立つんだって。ガックリ。
 翌10月7日には、僕は以下の内容で軽く返信しておいたが、皆さんにはなかなかなにが問題なのか、分かりづらいでしょうがご一報しておく。

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 Fさま

 懐かしいお便りご苦労さまでした。
 もうひと昔も前、かの偉大なる滝尾さんの訃報をFさんからいただいた時以来ですね。電報を打つくらいの弔意しか示すことができませんでしたが、今となっては有難いハナシです。どうもありがとうございました。おかげさまでひとつの区切りがつき、遅まきながら深謝します。
 さて、今次のお便りも、この間のFさんの消息をあれこれ仄聞していたところに、舞い込んできたとゆーわけです。T氏からも十数年ぶりのお電話いただいたり資料館のKらの針小棒大なお便り、今度はFさんとはいささかミョ~なハナシ。
 なんの、どんなエネルギーを使ってだか、黒尾だの稲葉だのの攻撃にそうそう息巻くのか理解不能です。いま、仕事が忙しくて長い文章書く暇がないので、かる~いヘンシンでご寛恕ねがいます。(Fさんの)ちょっとした事実関係の誤りについてごくごく簡単に訂正するにとどめさせていただきたいと思います。
 僕のハンセン病問題からの基本的な撤退は、Fさんが忖度するようなことではありません。すなわち「弁護団の政治的思惑」に見切りをつけたことに相違はありませんが、神さんのいた全療(患)協にはきわめて友好的だったし、いまも大竹さんたちに一定のシンパシーをもっています。
 「見切り」の他の契機ですが、裁判が一度終結すると恰もハイエナのごとく蝟集してきた政治家、学者・文化人などのレプラ・ディレッタントと弁護団の浅はかなヘゲモニー主義。また、KやKやMなどの全原協を構成していた(る)個々人のある種品性のなさにはうんざりさせられたものです。さらには、S-O派やC派などの宗教者たちの文字通りセクト主義にはこちとら従いてゆけませんでした。
 ま、そんな感じで「いやけ」がさしたのは、そーゆーもんで決してハンセン病の人たちや資料館の面々ではなく、それ以上でも以下でもありません。
 以上が僕の率直で端的な感情です。

 「敵の敵は味方といったたぐいの不毛な判断」(このメタファーの意味いまいち不明)をしないのは無論のこと、今も昔も「敵」は、ハンセン病患者を排除した日本近現代の国家権力であり、その強大な権力に追従させられた市民社会とゆーことになんら変わりありません。
 また、そのうちお会いしましょう。
 恐乍頓首謹厳

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 ま、以上のようなものです。が、さらにメールが舞い込んできて、“「息巻くのか理解不能」とおっしゃるが小生から見たら「擁護するか理解不能」です。まさか「不当解雇」に脊椎反射したとも思えません”と、ちょっと難解っつーか、意味がイマイチ不明な文言を重ねてきた。ほんと、やんなっちゃう。

 

■ケツロン=稲葉さんたちを資料館にもどせ!

 さて、そうこうお喋りをしてるうちにも、秋が本格的に到来し、コロナの猖獗も続くし、厳しい情況が囲繞するなかで稲葉さんたちも頑張って職場復帰を果たしてください。もうトシで、体も思うにまかせず、あまりお役には立てないが、僕も出来るだけのことはやるし……。
 資料館の面々(学芸員一同?)も「国立」の名に恥じない、おおらかで明るく楽しい職場づくりに勤しんでちょーだい。そもそも「国立」とは名ばかりで、実質的には国・厚生労働省の管轄ながら財団にフリーハンドを与えて、挙句「首切り」の権限まで付与されてるんだからほんとうにマィッタチャンです。
 だいたいだねぇ、例え少人数でも「本来、労働組合は、労働環境改善のための重要な組織」(有志一同の文書)だから「解雇」問題はスルーってか?  そんな理不尽な理屈ってないだろ? (オレは、かつてプロの労働組合活動者だったから解る!)それを……シのゴの言わず元の職場に戻して、対等な立場に立って「労働環境改善」に力を尽くすべきだと思う。同じ土俵に立ってアレコレと相互批判すべきだと思うし、権力にすりよるなんていったいなんのための、誰のための「学芸員」なんだ、キミたちは?
 ……これ以上コトバがない。とつぜんの解雇には怒り心頭、といったところである。いやはや、俺もトシとったもので、真剣なのだがちょっとドッチラケの文章ですみません。

2020年10月11日

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