Profile
屋 猛司(おく・たけし)さん……1942(昭和17)年、奄美大島生まれ。1974年にハンセン病であるとの診断を受け、30代で邑久光明園へ入所。自治会活動に関わるようになるのは入所から20年近く経った1993年になってからだった。以来、全患協〜全療協運動史、歴史資料の勉強、調査に熱心に打ち込み、2006年には自治会長に就任。2016年に開館した社会交流館では、大阪にかつて存在した療養所、外島保養園(邑久光明園の前身)の歴史資料なども展示している。
──2020年3月末に国立ハンセン病資料館で雇い止めが起きましたが、この件について屋さんのご意見を聞かせてください。
組合を作ったのが2019年9月かな。それを受けてのことで、これは明らかな組合つぶし、不当解雇だ。不当解雇の第一弾が稲葉君と大久保さん、第二弾が黒尾さん(*現・草津重監房資料館部長)とハンセン病資料館に残っている組合員1名、そういう段取りだと思うんだよ。いっぺんに4人を排除したら世間が騒がしいから二段階でやろうと、そう笹川保健財団は考えてると思うんだ。
──ここ数年にわたる資料館内部の問題についてはご存知でしたか。
資料館内部の問題については2018年あたりから聞き及んどったし、いろいろな情報については、私も全療協本部の非常勤の中央執行委員やからな。聞いとった。その頃から、稲葉さんたちのことを全面的にバックアップせなあかんぞ、と本部には言うとったけどな。
国立ハンセン病資料館における学芸員の身分保障、継続的な雇用、こういったことについては、全療協(*全国ハンセン病療養所 入所者協議会)はずっと以前から要求してきたんだ。今回不当解雇された稲葉君は支部長会議に同席したこともあるし、全療協が学芸員の長期雇用について、どんな働きかけをしてきたかについても、よく知ってると思うんだよ。
今回2人が解雇されなかったとしても欠員が生じている状態であるのに、3月に解雇して以来、あらたな人員の雇用もできていない。何をしているんだという話だ。各支部の調査も進まない。稲葉君たちも邑久光明園に来て、調査とか、やってくれとったからね。それが今は完全に止まってしまっている。ウチでも独自に書類、写真の整理とか、やってるんだけど、なかなか進まないんだ。これは他の支部もそうだろうと思う。現場で困っているのは、そういうことです。
成田館長も2020年の3月で辞めるという話を聞いとったんだけど、それが3月に入ってから急にひっくり返ったということで、これには我々もびっくりした。厚生労働省(以下、厚労省)難病対策課の課長が、どこから横槍が入ったかわからんと言うとったけど、あれは我々に対する背信行為だ。
──屋さんは不当解雇撤回の署名賛同人でもあり、署名もかなり積極的に集めていただいていますが、署名活動自体を批判する声もあるようです。
ハンセン病資料館の学芸員有志を名乗る人たちが、稲葉君たちを批判して、一方のことだけを聞いて判断してはいけないとか、そういうことを言っているようだけれども、結局のところは自分たちの利益、処遇が良くなる、こういったことを考えて体制側についている、そういうことが伺われるからね。彼らも笹川保健財団から受託団体が変わったときに、今度は自分たちが同じ目に遭うかもしれない、そういうことがあまりわかっていないと思うんだな。
稲葉君が生前の佐川(*1)さんと協力しながら資料館の仕事をやってきた。そして、その佐川さんの盟友であり、資料館設立に大きな働きをされた大竹章(*2)さん、この人も署名の賛同人に名前を連ねているということは、大竹さんも稲葉君たちを信頼している、そういうことになるわけだ。
*1 佐川修(さがわ・おさむ)氏。1928年韓国全羅南道生まれ(園の公式記録では1931年)。韓国名・金相権〈キム・サングォン〉。1964年に全患協の初代渉外部長に就任、全患協ニュースを担当する情報宣伝部長などを歴任。2006年より多磨全生園自治会長。『全患協運動史』『倶会一処』の執筆(いずれも光岡良二、氷上恵介、盾木弘、大竹章、各氏との共著)も手がけた。2018年没。
*2 大竹章(おおたけ・あきら)氏。1925年生まれ。患者運動、自治会活動に深く関わる一方で、『倶会一処』『全患協運動史』『復権への日月』など運動史の執筆、編集にも参加。写真撮影も手がけるなど、ジャーナリスト的活動で知られる。著書に『らいからの解放─その受難と闘い』『無菌地帯─らい予防法の真実とは』『ハンセン病資料館(佐川修氏との共編著)』などがある。
まあ、我々も稲葉君たちが不当解雇される前、1月くらいの段階で、そういう動きがあるというのは知っとったからね。2人が嘘を言っているとか、能力がないとか、そういう作り話に惑わされることはないんだよ。
──屋さんの稲葉さんに対する評価は、どんなものですか。
組合に参加している学芸員というのは、非常に熱心な人たちだ。とくに稲葉君のことは早くから知っとったからね。仕事ぶりや人柄なんかについても、全療協本部の藤崎(*陸安氏。全療協事務局長)からも、よく聞いとった。その人柄を信頼したからこそ、私は署名の賛同人になったわけだ。人を騙すような人間ではないと思っとるからね。
──学芸員がいつ雇い止めになるかわからない、さらに解雇の理由も明かされないという現在の状況は、各園の社会交流会館にとっても不安を感じさせるものではないですか。
そう、雇い止めがあって困るのは各園の社会交流会館も同じだ。そういう意味でも解雇はとんでもない話で、これは元に戻さないかん。まずは稲葉君たちを復職させることが先決で、残りは全部それからの問題だ。中で頑張っておれば、受託団体だって変わるんだから。未来永劫、ずっと笹川保健財団がやると決まっているわけじゃない。それまで、みんな辛抱するときだと思う。
──今回の件は、労働問題であると同時に、資料館の方向性、価値を守る運動でもあると思っています。1993年に資料館ができた際の目的、これをぜひ守っていきたいところですが。
我々はいずれ、おらんようになる。そのときに今までやってきた全療協の運動とか、いろいろなものが残っていると思うんだよ。そういったものを学芸員のみなさんが、社会の人たちに伝えていくという使命があると思うんだ。それはそれできっちりとした一本の筋を通しておかないと、なんのために資料館を作ったのか、わからんようになってしまう。
佐川さんが亡くなり、平沢(保治)さんも体調が優れない。せめて大竹さんがまだ元気でおられるうちに、稲葉君たちを資料館に戻さなあかんと思っとる。東京都労働委員会(都労委)の審議も新型コロナの影響で遅れとると聞いてるけれども、笹川保健財団に改善指導が出て、それでも駄目だったら裁判と、そういう形になっていくんだろう。
財団だって裁判になって世間が騒ぎ出したら困るんだよ。次年度の受託団体として手を挙げるのも状況によっては難しくなってくる。安倍さんもついに辞めることになったし、ここらあたりで厚労省も強気で出てくることができるようになってくるかもしれん。ここが踏ん張りどころだ。ただ経済的問題とか、そういうこともあるから、そのあたりがしんどいところだ。光明園へ来たら、いつでもメシくらい食わせるけど、東京からじゃ、運賃の方が高くつくからのう(笑)。
資料館に残っている組合員にしても、笹川保健財団としては、自分の方から辞めますという発言を引き出したいんだよ。それが向こうの本心だ。退職させたことにならないから、それなら世間から文句を言われない。いやなやり方だ。しかしそういう団体だと思って付き合わないことには、しゃあないな。ひとまず来年の3月まで、みんなで力合わせて頑張らないかん。私はそう思っとるよ。