僕のなかの「全生園物語」(10)

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僕のなかの「全生園物語」
亀井義展

我が青春の「さがみ奮闘日記」(2)

11月8日
チーばあちゃんと、お風呂あがりの会話。
「お風呂で大変なことを覚えてきたョ。おっぱいのことをペチャパイって言うんだってねェ……」
「おっぱいのことをペチャパイって言うんじゃなくて、ばあちゃんのおっぱいみたいなのをペチャパイって言うんだョ」
「へー、そうなのかい?」
そこへ療友のじっさまのひと言。
「ばあさんのは干し柿・・・だョ!」

マーじいちゃん、昼食後、自然便が出た。秋の暖かな陽の差す部屋の廊下、ひと山のウンコがじいちゃんの足元で輝いている。自然便がたっぷりと出たうれしさもあって、その光景を思い出すと、つい微笑みたくなる。

11月11日
チーばあちゃん、義足を使う足の保護包帯を取りながらの会話。
「この足があればねェ……。目か足のどっちかがあれば、随分助かるんだけどねェ……」

11月23日
チーばあちゃん、散歩の帰りにオーじいちゃん宅にご機嫌伺い。

オーじいちゃん「少しは体重増えましたか?」
チーばあ「だめだねェ、いくら飲んでも食べても、ちっとも増えないんだョ。きっと食い逃げ・・・・するんだねェ……」

11月30日
チーばあちゃんにビールを注ぐと、1本分がコップ一杯に入った。
「ばあちゃん、全部入ったョ」
「へー、みんな入っちゃったかい。カメちゃんは何でも入れる・・・・・・のが上手いねェー」
だって……。さすがに80歳を超したばあちゃんは言うことが違う!!

「さがみ」のおばあ

さがみ・・・には、ふたりのおばあがいる
おっぱいの小さいおばあは
片足がないが、
いつも明るく元気だ

大好きなビールをぐびり・・・とやりながら
「あたしゃ、野なかの1本杉だョ」
と、笑っている

おっぱいの大きいおばあは
ただ一人残っていた兄弟をなくし
「やっぱり寂しいョ……」
と、うつむく

おばあたちの人生にとって
僕は吹きすぎる風でしかない
ただ僕は
その風がさわやかであれば……
と願うのだ

ふたりのおばあが
僕は無性に愛おしい

「さがみ」での日々は、毎日が愉しくてしかたがなかった。そこには笑いと哀しみ(たまに輝くウンコ)、命の切なさと煌めきがあふれていた。一緒に働く仲間たち(国安さん、加恵ちゃん、よりちゃん)も最高の相棒だった。目や身体の不自由なお年寄りの介護は、よほど僕に合っていたのだろうし、さがみで暮らすじいちゃん、ばあちゃんたちのことが、僕はたまらなく好きだった。

だが、この数ヶ月後、とんでもないできごとが僕を待ち受けていたのだ。

亀井義展(かめい・よしひろ)
学生時代にフレンズ国際労働キャンプ(FIWC)主催の韓国ハンセン病快復者定着村・労働キャンプ参加。その後仙台の本屋で『倶会一処 患者が綴る全生園の70年』を手にし、当時の多磨全生園入園者自治会会長・松本馨(まつもと・かおる)氏に手紙を書く。それが縁となり1981年秋より多磨全生園で盲人会、入園者の生活介護の仕事に従事。1998年に退職後、精神保健の作業所、グループホームなどで働く。2017年、友人の紹介で救世軍自省館(清瀬市)で働くことになり、およそ20年ぶりに全生園に通うようになった。

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