支援者インタビュー〈岸 從一さん〉

インタビュー

Profile
岸 從一(きし・よりいち)さん……1939(昭和14)年、埼玉県生まれ。1949年、10歳の時にハンセン病と診断され、父とともに国立療養所栗生園に入所。当時、園内にあった望学園(のちの草津町立草津小学校・中学校の第一分校)で教育を受ける。以来、園内で暮らす。1987年から栗生楽泉園入所者自治会執行委員となり自治会活動に従事、入所者の医療・処遇改善、入所者間のトラブル解決に尽力。2016年10月に自治会副会長に就任、2020年4月から自治会会長を務めている。

 

筋が通らない雇い止め
署名賛同の動機はその一点に尽きる

学芸員を一方的に解雇したことについては、本当に納得できません。彼らをクビにした原因はこういう事情があったからで、あれはクビになって当然なんだ、という文書がインターネットに載ったりしてるけれども、あれがどこまで真実かってことも、わからないわけでしょう。

実際に起きたことをちゃんと把握した上で批判するならいいけれども、ああいったものだけ読んで、これはとんでもない学芸員だ、解雇されて当たり前だ、みたいに考える人も実際のところ、結構いると思うんだな。そうなってくると、これはインターネットに文書を流している方の勝ちってことになる。ネットの弊害だ。

おれたちができることって言っても不当解雇撤回の署名くらいだけどね。解雇された学芸員を個人的によく知ってるわけじゃないけど、受託者が変わるときに今までやったことのない採用試験をして、それを口実に雇い止めにするってのは、これは話の筋として間違っているだろう、ということだね。その一点でおかしいと言っているわけ。だからこそ楽泉園入所者のほとんどが署名をしてくれたんです。全療協の各支部がどういう意見をもってるかはよく知らないけど、署名くらいはまとまってやるべきだと思うんだな。

資料館の職員は、形の上では年度ごとに採用するかどうか、決めることになってるけれども、そんな馬鹿な話はないですよ。学芸員は長く勤めてもらわなきゃ困るんだと以前から言ってきて、全療協だってずっと厚労省に対してそう要求してきた。それを本省とどういう話をして落札したかは知らないけれど、受託したからには財団が好きなようにやるというのは、これはどこからどう見たって間違ってるわな。

人事については成田館長が大ナタ振ってるんだかよく知らないけれども、自分の意に沿わない学芸員を左遷すると言ったり、実際にそういうことをしてるってことは聞いていたからね。そりゃ学芸員だったら館長の言うことは聞かなきゃいけないんだろうし、資料館に残ってる学芸員にしても黙ってりゃ、ずっと使ってくれると思ってるのかもしれないけどね。

成田館長も年だしなぁ。ことここに至ってこれという持論は、それほど持ち合わせちゃいないと思うんだよ。そういう人をいつまでも館長にしておくってことも間違いでしょう。これは厚労省の責任でもあるね。


(人物写真提供:黒﨑彰氏 禁転載)

各地の社会交流会館で働いてくれてる人たちも、いつクビになるかわからないというんじゃ不安でしょうがない。日々の仕事を一生懸命やってるのに「お前、明日から来なくていいよ」って言われたら、どうしようもないしさ。早いこと解決しないと、あたらしい学芸員もなかなか見つからないだろうしね。いい人材が集まってこないとなったら、こっちとしても困るんだよ。

楽泉園にも青年会館、重監房、あるいは納骨堂だとか、永久保存が決まった施設があるけれど、我々がいなくなったあと、療養所がどうなっていくのか、そういうことについては、ほとんど話合われていないというのが実状です。それなのに療養所のなかでは、国が最後の1人まで国が面倒を見ると言ってるんだから、まあ安心だよな、みたいな話で終わってしまう。

「青写真も何もないのに、どういうことになるか、わかったもんじゃねぇだろう」って、こないだも厚労省の人に言ったんだけどさ、そしたら案の定、「まだ何も具体的な計画はできていません」ってことだった。入所してる方は呑気なもんで、「いやぁ、おれはみんなよりも先に逝くから心配ねぇ」なんて言ってるんだ。みんな自分が最後の1人になると思ってないんだよ(笑)。そんなことじゃ困るんだけどね。

厚労省の担当している人たちも何年かすると異動しちゃうから、そこも難しい部分だ。将来構想にしても、単なるイメージじゃなくて、こういう計画で、こうしなきゃいけないっていう具体的なものをつくって、それを守ってもらわないといけない。療養所も資料館も、今の状態はけっして良くはねぇよなあ。本当になんとかしなきゃって思ってるんですよ。

 

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